躁うつグマのオタケビ

うつ歴13年・躁うつ確定診断3年前。睡眠障害をあわせ持つオッサンのひとりごと…

思春期の挫折感その3

エレキを買ってもらえないうつグマ、どうしたか。

朝刊配達のアルバイトすることにしたんです。それも確か厳冬の2月頃でした。父は「やれるものならやってみろ(お前なんかに出来るはず無い、と思っていたんです)」とアッサリ承諾。早朝3時半頃に起きなきゃいけないんですが、当然両親は非協力的です。父は私がケツを割るのを待ってたんですね。でもね、うつグマ、そんなの関係ありません。自分で頑張って起きて行き始めましたよオ〜! 3週間ほど続いいたある日、父が言うんです。 「どんなことやってるのや。明日の朝はわしも車で着いて行ったろ」。実際に翌朝、私の新聞満載の自転車の後を父が付いてきたうえ、途中から手伝い始めました。

その2〜3日後だったかな。

夕食時の会話。

父「勉強もあるだろ、もうバイトはやめろ」。

私「なんでよ〜!3ヶ月は続けなエレキ買われへんもん!」。

父「あかん、勉強の方が大事や。エレキは買ってやるから。バイト先には、お父さんから試験勉強せなあかんからバイトやめろって言われましたって言え!」。

私は内心(ヨッシャー‼️)とは思いながらも、バイトを途中で投げ出すことになんだか目標を達成できなかった挫折感を味わうこととなったのですね。

このように、自分で立てた目標を100%自力で勝ち取れないという経験は、父の生きている限り続きます。


まだまだ、挫折体験は続きます。

今回はこれでおしまい。

思春期の挫折感その2

うつグマ、やむなく公立中学に入学しました。そこは別名「第◯収容所」と言われているほど、荒れた第◯中学校だったのですね。特に、校舎も建て替え直前ということもあり、番長・スケバン(今でも言うのかな?)様がおられ、毎日のように校舎の窓ガラスを割っておられました。私も何度かセンパイにタバコを買いに行かされましたよ。当時、まだまだパシリと言う言葉はありませんでしたね。


中学受験の深夜までの勉強中、父が隣でFM大阪の「ジェットストリーム」という深夜番組をよく聴いており、すっかり洋楽に目覚めていた私は入学してすぐに、ハードロックに目覚めてしまったのですね〜。だれでも「巡り会いの1曲」があると思うのですが、私の場合はDEEP PURPLEの「Smoke On The Water」だったワケです。最初は冒頭のギターの次に加わるハイハットにヤられましたね〜❗️しかし聴き込んでいるうちに、リッチー ブラックモアのギターがどうしてもどうしても自分で真似してくてたまらない。弾けるかも知れない。密かに自信があったのです。実はうつグマ、幼稚園の頃からピアノとバイオリンを習わされていたんです。さすがに両方はキツいので途中からバイオリンだけにしてもらいましたが。で、父に「エレキ買ってぇ〜」。厳格な父は「やるんだったら基礎からちゃんと習えっ」てことで、まずは安モンのクラシックギターをあてがわれアルペジオからレッスンに行かされました。やめました、2回で。だって音階の練習なんて面白くないし、澄んだ音なんて面白くもなんともありません。やっぱりダメダメ。あのディストーションサウンドが絶対良いのです。

かくしていらいらジリジリの面白くない日が続いたのです。楽器屋に掛かっているエレキが欲しくて欲しくて何度もおねだりしましたが、「まだ早いッ❗️」と一蹴されるばかりです。

どういう手に出たか❓


続きは次回に…。

又もや外泊する事情。

昨晩から又、外泊してます。

だって入院してから、益々睡眠障害が酷くなってしまったんですもん。まだ、どこか緊張感があるのかもしれないです。

一昨日はとうとう5時間しか眠れなかったのです。このまんまでは中途覚醒が始まると思うんですよ。で、Dr.Kに、「ベゲBをベゲAに変えていただき、家に帰って好きな時に好きなだけ眠りたい」とお願いしたところ、アッサリと「良いですよ〜」と。

でも夕べは自宅に帰ったのが午後11時半。お薬飲んだのが0時半頃。効果が出てきてふらつきながら、ベッドに入ったのが午前1時半頃。起きたのが朝7時半頃。6時間は眠れたワケです。強力な効果が期待できそうです。


今晩、もう一度ちゃんと試してみますね。

雲古には相変わらずシカトされてマス…。